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東京家庭裁判所 昭和50年(家)1894号 審判

申立人 沢田耐子(仮名)

相手方 沢田正一(仮名)

主文

一  申立人の夫婦同居の申立を却下する。

二  相手方は申立人に対し婚姻費用分担として昭和四九年一一月二日から両名の婚姻且つ別居中一ヵ月金五万円宛送付して支払うべし。

理由

一  (申立)

申立人は夫婦の同居並びに婚姻費用分担を申立てた。(婚姻費用分担については相手方に対し月額金一〇万円及び同人の取得すべきボーナスの半額の支払を求めている。)

二  (判断)

(一)  申立人は大正八年七月一三日生れ、相手方は同一三年一二月一日生れであつて、両名は昭和三四年一二月一一日婚姻した夫婦である。ところで相手方(夫)は昭和四九年六月二五日申立人を相手方として離婚を求める調停を申立て(当庁同年(家イ)第三四三六号事件)その事件は五回の調停期日を開いた後不調により終了した。その後申立人(妻)は夫を相手方として同年一〇月二三日夫婦同居並びに婚姻費用分担調停を申立てた(同年(家イ)第五七六二号、第五七六三号)ものの翌一一月二日その申立を取下げ、即日再び同趣旨の申立をした(同年(家イ)第五九三八号、第五九四二号)。申立人の右の措置は申立権の濫用の疑いがあるが、申立人の申立権を濫用する意図に出たことを確認するまでの形跡を認め難いので、申立人の右申立に基づく調停期日を定めた。しかしその調停事件の実体は結局前記離婚調停事件と同一基盤に立ち、調停の成立の見込がなく、本件審判手続に移行した。

(二)  記録によると申立人と相手方とが結婚するに至つた経過は次の如くである。「申立人は永らく病気(結核)により○○療養所に入院していた(昭和二八年退院)ところ、その頃同療養所に同じく入院していた相手方の弟正二と知合つたことが申立人と相手方とが結婚することとなつたきつかけである。相手方は○○中学、○○工業専門学校を卒業した後○○大学理学部を昭和二二年三月卒業したもので、○○工業専門学校講師をしていたが、翌二三年末頃これを辞め、ノート類の実用新案、製造販売の業に就いた。その後相手方は母親と折合いが悪くなつた際に、既に知合いとなつていた申立人が相手方親子の仲をとりもつたことがあつたことから、申立人と相手方は昭和三四年初め同棲を始め、その年末に婚姻届出をしたものであつた。そしてその頃申立人の肩書地である○○町に住居を得て暮らすこととなつた。当時妻三九歳、夫三四歳であった。」更に記録によると両名の夫婦生活は次の如くであつたことが認められる。「妻の希望により夫は昭和三四年九月頃○○ゴム設計部に入社した。昭和四一年一月夫は同会社を退社し、機械設計業を自営した。その後また妻が夫の会社勤めを希望したので夫は昭和四三年七月から○○化学(株式会社)の嘱託となつた。ところで妻は結婚後約五年位経過した頃よりゼンソクのため病弱となり、夫は必ずしも思うままに行動できなかつた。そのため夫には不満もあり、夫婦の感情は疎隔を生ずるようになつた。妻は家事一切をとりしきり、同人にはその能力もあつたが、諸事万端についてした妻の積極的な処理の仕方が夫にとつては妻の専横と感ぜられた。これらも夫婦の隔りを生ずる事由であつた。更に妻の言によれば、夫は昭和三五年に死亡した妻の弟忠の妻道子と不倫の関係にあるというのであるが、夫はこれを否定し、忠は幼児二名を残して死亡したことに同情して、同人らに経済的援助をしたことがあつただけであるというのである。この事実も夫と右道子との間に事実不倫関係があつたかどうかの真偽はともかくとして夫婦疎隔の事由の一つとなつた。更に夫は妻との夫婦の営みにも不満があつたが妻は昭和四八年秋頃からゼンソクが昂じ、翌四九年三月頃妻のゼンソク発作とその医療のことから紛争が爆発して夫が一時家出し、翌四月に夫が一旦帰宅したものの、妻が夫を責めたため夫婦は和解できず、同年六月二三日夫は別居し、妻を相手方として前記離婚調停を申立てるに至つたものであつた。」

(三)  (夫婦同居の申立について)

このようにして右の事実関係のもとで別居するに至つた夫と妻とは、前記離婚調停が前後五回の調停期日を重ねて不調となり、ついで同一紛争の実体を有する、本件審判移行前の調停も二回の調停期日を重ねて不調となつたものでもはや感情を宥和する見込がなく右各調停事件における両名の態度に照らして、主張と感情の対立が大きいだけでなく、相互の信頼関係が既に失なわれ、夫婦共同生活を回復する望みがないものと認められる。しかるに妻は夫が○○町の住居(申立人の肩書住所)に帰来して同居することを求め、これに対し夫は妻が同居を求めるならば夫の肩書地(本籍地)に来るべきものであると主張するのである。

凡そ夫婦同居審判は、法律上の夫婦の同居義務に基づいて単に同居を命ずれば足りるわけのものではなく、夫婦がその間に多少の紛争があつても、夫婦たるの実体を有する前提のもとに、その生活の本拠の態容につき裁判所が後見的立場から具体的方法を定める非訟事件の裁判であると解せられるから、当該夫婦間に既に夫婦たるの実体がないときは、夫婦同居の審判をなす基盤がない。そのような場合審判により裁判所が同居の場所、時期その他の方法等について定めてみても実効性がなくその意義がないと認められるから夫婦同居の審判をなす前提を欠き、その申立は却下すべきものである。そして本件はそのような場合に該当するものと認められるから、結局申立人の同居の申立は却下するの外ない。

(四)  (婚姻費用分担申立について)

(1)  妻は肩書地にある木造平家建の建物(四畳半二部屋風呂場台所)(夫所有)に一人で居住し現在は家賃を支出する必要はないが、無職で収入がないうえ、ゼンソクのため医療費も必要であるから月額金一〇万円を婚姻費用分担として希望するというのである。これに対して夫は昭和四九年六月別居するに際して金額一六〇万円預入れの銀行預金通帳を妻に渡してあるから妻が生活費に困る筈はないと主張する。しかし、妻は、右銀行預金通帳を所持はしているが、預入金のうち金三〇万円は持参金であり、これを預入時から複利計算すると金一一一万三〇〇〇円となるから、総額からこれを差引いた金四八万七〇〇〇円が夫から出た金にすぎず、昨四九年一〇月までは夫から一ヵ月当り金二万円位渡されていたが、翌一一月以降はこれをうけとつていないから夫に対し生活費をどうしても支払つて貰う必要があるというのである。しかし、たとえ妻が預入金の出所はともかく銀行預金通帳を所持しているにもせよ、また夫婦同居申立がいれられない場合であつても、申立人と相手方とが法律上の夫婦である以上互に他方の生計費を分担すべきであつてその一方である妻が無収入で生活できないときは、夫は可能な範囲内でその負担をしなければならない。

(2)  そこで夫妻それぞれの生活費、収支の計数を調べることとする。

妻の家裁調査官に対する陳述によれば「妻の昭和四九年七月から一二月までの六ヵ月間の平均として、月額、生活費(食費、交際費、交通費などを含めて)金四万二五七八円、ガス代金三一五八円、電気料金一〇一一円、水道代金六三〇円、テレビ聴視料金四六五円、電話料金六一八七円、医療費(一二月の歯科治療費を含めて)金一万五八八〇円、(以上合計金六万九九〇九円)衣料費金七四九一円、電気製品類の償却費八〇〇〇円、家屋維持費八〇〇〇円、臨時入院費六六〇〇円(以上計三万〇〇九一円)(以上総計金一〇万円となる)を必要とする」という。申立人は右の生活費の計数の内訳を明らかにしないのでこれを詳にできないが、上記各計数は総額が月額金一〇万円になるように配算したとみることができないわけでもないからたやすく措信できないふしもある。そして医療費は歯科代金を除くと、記録上、月額約金五〇〇〇円に充たない計算となり、生活費は食費のほか雑費も含むものであることが窺われる。そうだとすれば右計数を一応の拠り所とすれば生活費、ガス、電気、水道各代金、医療費(以上必要最少限と認められるもの)に充てるため一ヵ月金五万円を要するものと推認される(その余の費目は不急と認められる)。

(3)  これに対し夫の収入は、同人の家裁調査官に対する陳述によれば、昭和四九年当時平均して手取り月額約金一五万円の給料のほか茨城県石岡市にある土地等の賃料相当額として月額金四万三八〇〇円の収入がある(以上合計約金一九万円ないし金二〇万円)。他方、夫の支出は、同人の陳述によれば、食費金三万円、住居費(光熱、水道代、住居維持費)金三万円、外食費金五〇〇〇円、嗜好品金一万五〇〇〇円、職業費金五万円、交際費金五万円、交通通信費金一万円(合計金一九万円)となるというのである。右計数も内訳が判明しない。してみると夫にはその母親があること、職業上の経費が必要であろうことを考慮に入れても月額金一九万円の手取り収入があれば、そのうちから申立人に対し一ヵ月当り金五万円の生活費を支給することが不能であるとは認められない。

要するに本件においては相手方は申立人に対し婚姻費用分担として本件家事調停申立の日である昭和四九年一一月二日から月額金五万円宛支払うべきものと定める。

三  よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 長利正巳)

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